「めがね橋」の愛称で知られる千本松大橋は、全国的に見ても珍しい構造を持つ橋である。その傍らには千本松渡船場があり、大阪市西成区と大正区を結ぶ渡し船として地元住民に利用されている。昭和48年に千本松大橋が完成したが、木津川の河口近くにあるこの渡船場は、橋の陰に隠れながらも地域住民にとって欠かせない存在だ。ところで、車だけでなく歩行者や自転車も通行可能なめがね橋があるにも関わらず、なぜ今も渡船場が利用されているのだろうか。その理由には、めがね橋という名前が大きく関わっている。千本松大橋がめがね橋といわれる理由は、上から見ないとわからない。(画像参照)

両岸に二階建ての螺旋状高架坂路を持つループ橋は、その独特な形から「めがね橋」として親しまれている。明治後期から大正時代にかけて、大阪は工業都市として大きく発展した。特に大正区や西成区は市内有数の工業地帯となり、多くの製鉄所や造船所が集まっていた。水運には恵まれていたものの、陸上交通が不便だったため、木津川河口に架かる橋の建設が計画された。船の航行を妨げないよう橋桁を高くする必要があり、その結果、両岸に二段の螺旋形状の高架坂路が採用され、これが現在の「めがね橋」の独特な形状につながっている。


1973年に開通した千本松大橋は大阪の交通網を大きく改善し、地域の活性化に貢献した。 船の航行を確保するため、航路高は33mと非常に高く設計されている。橋は車だけでなく、徒歩や自転車でも渡ることが可能で、まるで空中散歩をしているかのような感覚が味わえる。ただし、螺旋形状のループを登るにはかなりの体力と時間を要するため、千本松渡船場も併存している。千本松渡船場は、およそ100年前の大正時代中ごろには存在したことが分かっている。1973年の千本松大橋完成時に一時廃止が検討されたが、地元住民の強い要望により存続している。古くからの渡し船と近代的な橋が共存する風景は、歴史と現代が融合した独特の雰囲気を醸し出している。(kano)

- 住所:西成区南津守~大正区南恩加島
- アクセス:OsakaMetro四つ橋線 北加賀屋駅4番出口 およそ1,650m 徒歩27分