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小説の主人公のようにめぐる 難波界隈文学あるき

口縄坂 作家・織田作之助の青春を映す小説の舞台「口縄坂」を上る

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口縄坂 作家・織田作之助の青春を映す小説の舞台「口縄坂」を上る

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坂の町といわれる大阪の由来である難波方面から上町へと上がる幾筋もの坂道。中でも織田作之助が最も愛したのが「口縄坂」や。口縄(くちなわ)とは蛇の意。坂への愛惜があふれる名作『木の都』にも「口縄坂はまことに蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である」と書かれているように、元々は曲がりくねった坂やった。坂の途中には夕陽丘女学校跡の石碑があり、かつては通学路になっていたのがわかる。織田作(愛読者は親しみを込めてそう呼ぶ)もそこに通う女学生の一人に憧れていたらしい。

現在の坂は、緩急はあるもののむしろまっすぐに伸びているといっていい。それでも「口縄坂を緑の色で覆うていた木々」は今も健在で、織田作が上り下りした時代を彷彿させる。豊かな緑と石畳、土壁、石垣などが、映画のワンシーンを思わせるような美しさで目を楽しませてくれるんや。また、坂は上りと下りではまったく風景が違って見える。上りながら振り返ってみるも良し、上り切ったら今度は下りの景色をゆっくりと眺め歩くのも一興やで。

坂の上には旅人を出迎えるように『木の都』のエンディングの文章が刻まれた石碑が建っている。「口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた。(中略)青春の回想の甘さは終わり、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢にはげしく突っ掛かっていた。」その後、織田作は流行作家となり、疾風のごとく短期間に数多くの作品を残して、33歳の若さで坂の向こうへ去って行ってしもたんや。かっこええやろ。

※これは2023年8月現在の情報です。

住所:大阪市天王寺区下寺町~夕陽丘町
アクセス:大阪メトロ谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅から徒歩3分

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