大阪環状線 各駅停車graffiti

鶴橋~奥鶴橋 鶴橋商店街の東側に位置する奥鶴橋、地元密着型で大阪でも屈指のディープスポット

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鶴橋~奥鶴橋 鶴橋商店街の東側に位置する奥鶴橋、地元密着型で大阪でも屈指のディープスポット

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大阪の鶴橋といえばコリアンタウンで知られ、駅周辺の商店街にはキムチや焼肉店が軒を連ね、独特な文化と活気に満ちた地域だ。その中でも、近年特に注目されているのが鶴橋商店街の東側に位置する奥鶴橋である。

戦前から在日コリアンが多く住み着いていた鶴橋は、特に戦後、闇市が立ち並び活気あふれる場所となった。植民地時代より朝鮮半島南部や済州島からの移住者が多数暮らしており、1910年の朝鮮併合以降、職を求めて大阪へ渡る人々が増加。1922年には済州島–大阪間の定期船「君が代丸」が就航し、「朝鮮市場」が誕生した。

1945年の終戦後、朝鮮半島からの帰還者が多く集まり市場や商店街が発展。鶴橋駅周辺では終戦直後に闇市が立ち上がり、戦時中の疎開で空き地となっていた線路高架下や周辺に露店が急増した。旧国鉄(JR)・近鉄が交差する物流の要衝で、空襲被害を免れたことから物資が集まり、大阪でも有数の規模にまで闇市は発展。当時、闇市の露店には在日韓国・朝鮮人が大半を占め、多い日には数万人が集まった。

1946年末の進駐軍命令で市場は閉鎖され、臨時店舗は撤去されたものの、シャッターが取り壊された跡地には正式な卸売市場街が整備され、昭和20年代後半には現在の商店街の原型が形成されていった。当時の商店街には衣料品から食品まで多種多様な店舗が軒を連ね、「鶴橋に行けば何でも揃う」と言われるほどだった。

奥鶴橋は、鶴橋駅前の商店街を抜けたところに広がる飲み屋街だ。正式な名称ではなく、鶴橋商店街の一部として扱われており、明確な境界線や看板はない。しかし、鶴橋の賑やかな商店街とは一線を画し、より地元密着型でディープな雰囲気が漂うエリアであることは確かだ。

奥鶴橋には様々な店が密集しており、特に飲み屋が多く、インターネット上では情報がほとんど見当たらない。夕方5時半ごろの開店直後から賑わう立ち飲み屋もあり、個性的なギャル店主が切り盛りしている店もある。奥鶴橋は、ディープな鶴橋の中でも、さらに生活感にあふれ、より個性豊かな店が集まる場所である。(kano)

奥鶴橋
住所:大阪府大阪市東成区東小橋3丁目付近
アクセス:各鶴橋駅から徒歩数分

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