大阪・梅田の繁華街からほど近い北区太融寺町。その地名の由来となった太融寺は、1200年以上の歴史を刻み、かつては「新義真言宗」の拠点として広大な寺域を誇った名刹である。ここは、平安の雅と戦国の悲劇、そして近代日本の黎明が交差する、大阪でも稀有な歴史の集積地である。

山門、源融公之旧蹟
淀殿の墓

太融寺の創建は平安時代の弘仁12年(821年)に遡る。弘法大師・空海が嵯峨天皇の勅願により創建したと伝えられている。本尊の千手観世音菩薩(市指定有形文化財)は、嵯峨天皇の念持仏(身近に置いて拝む仏像)を下賜されたものという由緒を持つ。嵯峨天皇の皇子であり、光源氏のモデルの一人とされる源融がこの地に山荘を営み、没後にその跡地へ壮大な伽藍を整備した。西門に立つ「源融公之旧蹟」の碑は、この地が平安貴族の美意識に彩られていた証である。

本堂
ぼけ封じ観音

境内西北の静かな一角には、ひっそりと佇む六輪の石塔がある。これが豊臣秀吉の側室、淀殿(茶々)の墓である。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で豊臣秀頼とともに自刃した淀殿の遺骨は、当初は大坂城外の弁天島(現在の大阪ビジネスパーク付近)に祀られていた。しかし明治10年(1877年)、軍の施設(城東練兵場)建設に伴い、豊臣家と縁の深いこの太融寺へ移されたのである。

境内東側 国会期成同盟記念碑

本来は九輪の塔であったが、大阪大空襲の戦災により損傷し、現在は六輪となっている。命日である5月8日には、彼女の故郷である滋賀県・長浜から多くの人々が参詣に訪れ、今なおその波乱万丈の生涯に思いを馳せる場所となっている。

護摩堂ほか

また明治13年(1880年)、この寺で「第四回愛国社大会」が開催され、日本初の国会開設運動の全国組織となる「国会期成同盟」が結成された。境内にはその発祥を記念する碑が建っており、日本の民主主義の歩みを知る上でも重要な場所である。太融寺は「おおさか十三仏霊場」の第8番目で、「なにわ七幸めぐり」のうち無病息災のご利益のあるパワースポットとしても知られている。

住所:大阪市北区太融寺町3-7
アクセス:JR大阪駅・阪急梅田駅・OsakaMetro谷町線東梅田駅から徒歩約6分
http://www.taiyuji.com/

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