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北摂・三島の「隠れ名所探訪」

旧跡桜井駅跡 楠木正成・正行父子の今生の別れの場所

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北摂・三島の「隠れ名所探訪」

旧跡桜井駅跡 楠木正成・正行父子の今生の別れの場所

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鎌倉幕府の討幕に貢献した楠木正成が自らの死を覚悟した戦いに向かう途上、息子の正行と別れた場所がかつてこの地にあった桜井駅やった。駅いうても当時は馬が移動手段やったから、馬を休ませる場所を指したんや。そして親子の最後の別れに至るまでには、波乱万丈のドラマがあった。

後鳥羽上皇の起こした承久の乱から1世紀を経て、再び討幕を志す天皇が即位する。それが後醍醐天皇や。4歳で即位した後鳥羽上皇とは違い、後醍醐天皇は即位時、既に31歳やった。中継ぎで一代限り、頼れるものは身近にはいなかった。そこで当時、頭角を現していた河内の悪党、楠木正成にはせ参じるよう命じたんや。当時の悪党とはただの悪人ではなく、幕府に反抗するものを意味したんや。正成はこれはチャンスやとばかり、天皇のもとに駆け付け、神出鬼没のゲリラ戦を展開して幕府軍を攪乱する。一時は捕まって隠岐に流された天皇も、悪党たちの助けを借りて脱出に成功する。流れは正成の側にあり、幕府から寝返る武士が続出。鎌倉幕府は一気に崩壊するんや。

しかし、話はそこで終わらへん。せっかく討幕を果たした天皇の政治は、武士や悪党を軽視し、朝廷の復権のみをめざすもので正成が思い描いていた姿とは程遠いものやった。やがて武士たちの反感を買い、天皇は最大の危機を迎える。正成は起死回生の策を提案するが却下され、死を覚悟するんや。そして「太平記」の名場面「桜井の別れ」となる。父正成は子正行に「生き残って最後まで戦え」と諭して別れ、自らは死地へと向かうんや。この別れの地が現在は史跡桜井駅跡として残されている。戦前は忠君愛国の鑑とされたんやけど、今から考えたら、こんな非凡な才能を持った男を生かす道が他になかったんかと思わずにいられへんな。(G.I)

※これは2023年11月現在の情報です。

住所:三島郡島本町桜井1
アクセス:JR京都線島本駅から徒歩1分

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