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北摂・三島の「隠れ名所探訪」

水無瀬神宮 後鳥羽上皇の魂を今も弔う離宮跡

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北摂・三島の「隠れ名所探訪」

水無瀬神宮 後鳥羽上皇の魂を今も弔う離宮跡

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JR島本駅前から京都へと続く西国街道を少し横道に入ったひっそりとした場所に、鎌倉時代の歴史を大きく左右する出来事と深くかかわった後鳥羽上皇を祀る水無瀬神宮がある。上皇は平家を滅亡させた黒幕ともいわれる後白河法皇の孫にあたるんや。平家一門が安徳天皇を伴って西国に逃げた際、4歳で即位した上皇がこよなく愛した地が水無瀬やった。この辺りは古代から天皇家の鷹狩の場所で、平安時代中期に書かれた伊勢物語にも「昔、水無瀬に通ひ給ひし惟喬の親王、例の狩りしにおはします供に」という描写がある。そこに上皇は離宮を造営し、何度も足を運ばれた。水無瀬神宮はまさにその離宮の跡地に建てられたんや。

水無瀬神宮の近くを流れる水無瀬川は万葉の頃から歌枕として詠まれてきた。特に上皇が詠まれた「見渡せば山もとかすむ水無瀬川 夕べは秋となに思いけむ」という歌は目の前に水無瀬の情景が現れるようで感慨深い。上皇は新古今和歌集の編纂を命じたことで有名やけど、歌人としても当代一流の才能を発揮されたんや。そんな上皇にも苦悩があった。朝廷を軽んじ、上皇の力を削ごうとする幕府への不満が募っていたんや。それが和歌という芸術に結晶する一方で、承久の変という討幕をめざす一大事へと発展していくんや。

この頃の上皇は、都と水無瀬を何度も行き来しながら、美の洗練と権力奪還への意志を研ぎ澄ませて行ったに違いない。しかし、その計画は事前に幕府の知るところとなり、変はあっけなく鎮圧され、上皇は隠岐に島流しとなるんや。それから崩御されるまで、再び上皇が水無瀬の地を踏むことはなかった。だが、死後の自分の魂を最も愛した場所で弔ってほしいとの命を受け、上皇をお祀りしたのが水無瀬神宮の始まりなんやで。(G.I)

※これは2023年11月現在の情報です。

住所:三島郡島本町広瀬3-10-24
アクセス:JR京都線島本駅から徒歩10分
https://www.minasejingu.jp/

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