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小説の主人公のようにめぐる
難波界隈文学あるき
NAMBA

難波は、いつ来てもごちゃごちゃしているのに不思議と心地よい。それは人間の持つ底なしのエネルギーがみなぎっているからかもしれません。そこには幾重にも折り重なった大阪人の歴史があります。そんな難波界隈に生きる人々を描いて100年以上も愛され続け、今も多くの人々の心を魅了するのが、昭和初期に活躍した作家・織田作之助です。彼が生き、歩き、書いた場所を中心に難波界隈の文学にまつわるスポットをめぐります。
Spot おすすめスポット
スポット 4件

坂の町といわれる大阪の由来である難波方面から上町へと上がる幾筋もの坂道。中でも織田作之助が最も愛したのが「口縄坂」や。口縄(くちなわ)とは蛇の意。坂への愛惜があふれる名作『木の都』にも「口縄坂はまことに蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である」と書かれているように、元々は曲がりくねった坂やった。坂の途中には夕陽丘女学校跡の石碑があり、かつては通学路になっていたのがわかる。織田作(愛読者は親しみを込めてそう呼ぶ)もそこに通う女学生の一人に憧れていたらしい。現在の坂は、緩急はあるもののむしろまっすぐに伸びているといっていい。それでも「口縄坂を緑の色で覆うていた木々」は今も健在で、織田作が上り下りした時代を彷彿させる。豊かな緑と石畳、土壁、石垣などが、映画のワンシーンを思わせるような美しさで目を楽しませてくれるんや。また、坂は上りと下りではまったく風景が違って見える。上りながら振り返ってみるも良し、上り切ったら今度は下りの景色をゆっくりと眺め歩くのも一興やで。坂の上には旅人を出迎えるように『木の都』のエンディングの文章が刻まれた石碑が建っている。「口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた。(中略)青春の回想の甘さは終わり、新しい現実が私に向き直って来たように思われた。風は木の梢にはげしく突っ掛かっていた。」その後、織田作は流行作家となり、疾風のごとく短期間に数多くの作品を残して、33歳の若さで坂の向こうへ去って行ってしもたんや。かっこええやろ。 ※これは2023年8月現在の情報です。
住所:大阪市天王寺区下寺町~夕陽丘町
アクセス:大阪メトロ谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅から徒歩3分
作家・織田作之助が生まれたのは、難波大社 生國魂神社の近く、この源聖寺坂を上がった先やった。その自伝的作品『木の都』の書き出しにも、「私の幼時の記憶」として生國魂神社の境内に続いて、源聖寺坂が出てくる。この坂を下れば難波界隈で、坂の上が上町や。織田作(愛読者は親しみを込めてそう呼ぶ)は、この坂を上り下りしながら、大きいなったとも言える。そしてこの辺りは「元禄の昔より大阪町人の自由な下町の匂いがむんむん漂うていた」(『木の都』)そうや。坂の上り口の近辺は、縄文時代には南北に砂浜が続いていたそうで、坂の上の上町は大きな半島やった。その一帯が夕陽丘と呼ばれ、特に西の海に沈む夕日が美しかったという。『木の都』にも登場する新古今和歌集の撰者の一人、藤原家隆も晩年この地で「ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入日ををがみつるかな」(縁あって難波の里に暮らし、波の間に沈む夕日を拝んでいる)という歌を残しているんや。また、この辺りが下寺町と呼ばれ寺が多いんは、江戸時代初期に市中の寺を集めたからや。江戸末期に出版された『滑稽浪花名所 下寺町』と比較しても、その面影を残しているのがわかる。それから源聖寺坂という名前の由来は、坂道沿いにある源聖寺の境内を削って坂を作ったことにあるらしい。ちなみに坂の入口の敷石は、昭和の中頃まで走っていた大阪市電が廃止された時に、ここに持ってきたそうや。坂も時代と共に年輪を重ねていくんやね。 ※これは2023年8月現在の情報です。
住所:大阪市天王寺区下寺町~生玉寺町
アクセス:大阪メトロ千日前線日本橋駅から徒歩8分
大阪が生んだ文豪・織田作之助の代表作と言えば『夫婦善哉』や。北新地の売れっ子芸者やった蝶子と梅田新道の卸問屋の跡取り息子やった柳吉。柳吉には妻子がおったが、蝶子と馴染みになって駆け落ちしてしまう。それで父親から勘当されて、蝶子と二人で次々と小商いを始めるんやけど、どれも長続きせえへん。そんな二人のてんやわんやの暮らし振りが難波界隈を中心に展開する。千日前の自由軒は、織田作(愛読者は親しみを込めてそう呼ぶ)が繰り返し足を運んだ洋食屋で、ここでカレーを食べながら『夫婦善哉』の構想を練ったともいわれているんや。自由軒が難波に創業したんは、織田作が生まれる前の明治43年。当時、盛んになった自由民権運動に新しい風を感じて、「自由」という言葉を店名に取り入れたそうや。店内には織田作の写真と「トラは死んで皮をのこす、織田作死んでカレーライスをのこす」という織田作自身が考えたという一文が記された額縁が飾られている。東京を中心とする文壇の権威に屈することなく、あくまでも大阪の作家としてのアイデンティティを貫いた織田作が愛した店らしい清々しい屋号やね。「自由軒(ここ)のラ、ラ、ライスカレーは御飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」と織田作も『夫婦善哉』の中で、主人公の柳吉に言わせてるように、自由軒のカレーはライスとルーが別れておらず、完全に混ざっているのが特徴や。さらにソースをかけて、真ん中に乗っている生卵をかき混ぜていただく。一見、単調に思えるが、噛むほどに玉ねぎのシャキシャキとした食感と、口の中に広がるほのかな甘味が格別やで。 ※これは2023年8月現在の情報です。
住所:大阪市中央区難波3-1-34
アクセス:大阪メトロ御堂筋線なんば駅から徒歩3分
https://www.jiyuken.co.jp/
作家・織田作之助の代表作『夫婦善哉』のタイトルは、法善寺横丁に今もあるぜんざい屋さんの店名やねん。売れっ子芸者でしっかり者の蝶子と卸問屋の跡取り息子で妻子持ちの柳吉。二人は難波界隈のくいもん屋めぐりをしながら、深い仲になっていくんや。そしてお決まりの駆け落ち、勘当、苦労と続くんやけど、そこかしこに大阪らしい笑いがあるねん。映画にもなったラストシーンでは、柳吉が蝶子を「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」と夫婦善哉に誘う。説には「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯がぶら下がってて、「しみじじと夫婦で行く店らしかった」と描かれているけれども、今も雰囲気はそのままや。引き戸を引いて店内に入り、ぜんざいを一人前、注文すると、夫婦(めおと)椀と呼ぶのにふさわしく一人に二杯の椀が並ぶ。そのスタイルは小説の書かれた時代と変わりなく、最初はびっくりするんやけど、食べてみると案外一椀の量が少ないから女性でも安心して頼んで大丈夫やで。店内には映画になった『夫婦善哉』の写真や資料が壁一面に飾られている。1955年に最初に映画化された当時のパンフレットや写真、出演者の直筆から、今世紀に入ってから製作されたドラマのポスターまで、壁面を見れば一覧することができるんや。原作の小説『夫婦善哉』のラストで語られる蝶子の名台詞「一人より女夫(めおと)の方が良(え)えいうことでっしゃろ」も額縁に入れられて、ここでしか味わえない雰囲気を醸し出してる。お店を出たすぐ右手にいらっしゃる沓掛不動尊にお参りして帰れば、夫婦円満、良縁にも恵まれそうやね。 ※これは2023年8月現在の情報です。
住所:大阪市中央区難波1-2-10
アクセス:大阪メトロ御堂筋線なんば駅から徒歩4分
https://sato-res.com/meotozenzai/
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大阪には、長い歴史を持つ老舗の商いが数多く存在します。これらの老舗は、長年地元の人々に愛され、大阪の文化を支え、今も誰かの日常を支えている商いがあります。変わること、変えないこと、その両方を見極めながら、「ほんまもん」の価値を静かに守り続ける老舗たち。この特集では、大阪各地に根づく、ジャンルを問わない老舗を訪ねます。

大阪市内は「ミナミ」と呼ばれる難波・心斎橋周辺と、「キタ」と呼ばれる梅田周辺が、最も賑わう2大繁華街。夕刻が近づくとあちこちで明るいネオンがまたたき、「大阪の夜はこれからやで~」と呼び掛けてくれる。どこも激戦区なのでそれぞれに個性的な趣向を凝らしたスポットが目白押しなので、気に入ったお店へ足を運んでみてくださいね。

大阪と京都の県境に位置する北摂・三島は、日本史のターニングポイントと深くかかわる足跡を数多く残しています。平安後期から鎌倉を経て南北朝時代まで、それは貴族から武士へ、朝廷から幕府へと権力が大きくシフトする時代を象徴する場所でもありました。その時代に重要な役割を果たした後鳥羽上皇や楠木正成にまつわる史跡はドラマティックで特に興味深いものです。歴史のタイムトンネルをくぐって、隠れた名所を訪れてみませんか?

普段は何気なく通り過ぎてしまいがちな、道端のマンホール。フタにその町を象徴するシンボルや名所、キャラクター、アートなどを描いたり、いくつものデザインや色違いを制作している自治体も。そんなデザインマンホールのフタの写真やデザインの由来などが載ったコレクションカード「マンホールカード」は、府内だけで50種類以上配布中。小さな円にぎゅっと詰まった物語を見て、感じて、味わって!

大阪市に隣接する門真と守口。大阪の産業を支える東大阪工業地帯の中心地区ともいわれ、パナソニックグループをはじめ、さまざまな企業の本社や工場が集まる、ものづくりの街です。さらに、近年注目される「クールジャパン」のコンテンツのひとつであるフィギュアメーカー・海洋堂も本社を構えています。まさに色々な分野のものづくり文化が発信される下町へ、少し足を伸ばしてみませんか。

まるでそこだけ時が止まっているかのように、往時の姿を留めるレトロ建築。近代的な建物が建ち並ぶ大阪にも、そんなレトロ建築がそこかしこに残っています。店舗やオフィスなどとして今なお使われ続けている建物の中には、文化財に指定されたものも。施された美と技、漂う風格、そして刻まれた歴史を愛でに、出かけてみませんか。

銀杏や藤、瓢箪に桜など、花と緑に親しめる場所の多い大阪。その中でも、植物そのものに歴史やストーリーがあったり、古くから人々に大切に育てられている草花も少なくありません。季節を感じ自然に親しむ、歴史を散歩に出かけませんか?

うどんといえば香川のイメージが強いですが、大阪人もうどんが大好き!甘いお揚げがのった「きつねうどん」や、“油かす”といわれる牛ホルモンをトッピングした「かすうどん」など、名物うどんがたくさんあります。讃岐うどんとは一味違う、大阪のおうどん。ぜひ味わってみてください。

交野近辺は万葉集の時代から「交野ケ原」と呼ばれて数々の歌に詠まれ、愛されてきました。その後も風光明媚な自然や神聖な山岳の修行場を求めて、人々が行き交い、多くの不思議な伝説が生まれ、今も語り継がれています。今回は、交野のシンボルともいえる「交野山(こうのさん)」を中心に、その魅力に迫ります。一気に山頂を目指すもよし、山中の自然を満喫するもよし、まずはぜひ足を運んでみてください。

飛鳥時代に聖徳太子が建立した寺社や、江戸時代に大人気だったレジャースポット・新清水、今なお昭和の風情を色濃く残す阪和商店街など、いろいろな時代を体感できる・天王寺。四天王寺の縁日には骨董市も開かれ、より一層賑わいます。不思議な魅力あふれる路地裏まで足を伸ばして、1日タイムスリップしてみませんか?

大阪と京都のちょうど真ん中あたりに位置する高槻市。造り酒屋や社寺、宿場町として栄えた面影を残したエリアです。そんな北摂随一の昔町を、ゆっくりのんびりと歩きながら、歴史に思いを馳せてみませんか。

阪堺電車は、浪花のシンボル、通天閣とあべのハルカスの足元にある2つの始発駅から出発する路面電車。まっすぐ南下して、住吉大社の手前で一筋になり、ゆっくりと大和川を渡れば、歴史・文化の宝庫、堺です。気の向くままに途中下車して、江戸の風情、明治モダン、大正ロマンを満喫してください。

直径36mmの消印の中に名所や名物がギュッと描かれた「風景印」。旅先から友人へ、旅の思い出をしたためて自宅へ、こんなスタンプが押されたはがきが届くと、きっと楽しい気分になるはず。住吉なら太鼓橋に阪堺電車、東大阪なら花園ラグビー場などなど、郷土愛たっぷりの素敵な風景印の世界を覗いてみませんか?

和泉という地名は、伝説の女王 神功皇后が立ち寄った際、いきなり泉が湧き出したことに由来するそう。古代から稲作と祭礼が営まれ、数々の伝説を生み、中世以降は熊野詣、伊勢詣の参詣道としても栄え、綿織物、ガラス玉など製造も盛んになります。そして現在も豊かに湧き続ける文化の泉に触れてみませんか?




