8F
展望台
地上50mからの広大な眺望。大阪平野を一望でき、ミュージアムショップも併設されています。
History
1583年の築城から現在まで、
大阪城は時代の転換点とともに歩んできました。
幾多の焼失を乗り越え、現在は市民の寄付によって
復興した大阪の象徴となっています。
400年以上の時を超えて進化を続ける、
波乱に満ちた歴史の歩みを辿ります。
1583年
豊臣大坂城の築城開始
羽柴(豊臣)秀吉が天下統一の拠点として築城。石山本願寺跡地に、当時最大級の豪華絢爛な城を完成させた。
1615年
大坂夏の陣による落城
徳川軍との戦いにより豊臣家が滅亡。戦火によって秀吉の築いた壮麗な初代大坂城は、跡形もなく焼き尽くされた。
1620年
徳川大坂城の再建開始
二代将軍・徳川秀忠の命により再建。豊臣の遺構を完全に埋め立て、さらに高く強固な石垣を持つ城へと一新。
1665年
落雷による天守焼失
徳川再建の天守が落雷により焼失。以後、明治・大正時代を通じて、大阪城には天守閣が存在しない状態が続く。
1868年
幕末の動乱と大火
鳥羽・伏見の戦いの後、幕府軍の撤退に伴い出火。城内の多くの建造物が焼失し、維新後は陸軍の所管となった。
1931年
現在の「復興天守」が完成
市民の寄付により、鉄筋コンクリート造で現在の天守閣が再建。外観は豊臣期と徳川期の折衷デザインとなった。
1997年
平成の大改修と登録有形文化財への登録
大規模な改修により、耐震補強やバリアフリー化が完了。国の登録有形文化財となり、世界的な観光地に。
2014年
ホログラムを活用した展示リニューアル
天守閣内部の展示を現代的にアップデート。最新技術を用いた解説により、国内外の観光客への発信力が大幅に強化された。
2017年
城郭周辺の再開発(JO-TERRACE OSAKA開業)
「大阪城公園」全体の魅力向上のため、商業施設が次々オープン。歴史見学だけでなく、食事や買い物を楽しむ滞在型拠点へと変貌。
2019年
G20サミットの夕食会会場に
天守閣を背景に、世界の首脳が集まる夕食会が開催。日本の歴史と文化を象徴するアイコンとして、世界中にその姿が発信された。
2025年
「大阪城 豊臣石垣館」のオープン
徳川時代に埋められた「豊臣時代の石垣」を、発掘された状態のまま地下で見学できる施設が完成。400年の時を超えて、二つの時代の城が融合する新名所となった。
Floor Guide
天守閣内部は歴史博物館となっています。
最上階からの眺望だけでなく、
各階の展示で戦国時代を体感できます。
8F
地上50mからの広大な眺望。大阪平野を一望でき、ミュージアムショップも併設されています。
7F
「太閤記」をジオラマと映像で分かりやすく解説。秀吉の波乱万丈な人生を追体験できます。
5F
ミニチュアとパノラマビジョンで「大坂夏の陣」の激戦を再現。武将たちのドラマが蘇ります。(※6Fは回廊)
3-4F
戦国時代の武具、書状、絵画などの貴重な歴史資料を展示。企画展も定期的に行われます。
2F
城郭建築の基礎知識や、全国のお城情報をパネル展示。レプリカの鯱(しゃちほこ)は記念撮影スポットです。
1F
シアタールームで豊臣秀吉と大坂城の歴史を5本の映画で紹介。エレベーター乗り場があります。
Highlights
広大な大阪城公園には、
天守閣以外にも重要文化財や
四季折々の絶景スポットが点在しています。
マップを拡大・縮小して詳細な位置を
ご確認ください。
Pick Up
「大阪城 豊臣石垣館」は、400年以上もの間、地中に眠り続けてきた豊臣秀吉による初代大坂城の石垣を公開する施設です。現在目にする大阪城の石垣や堀は、実は徳川幕府が豊臣の遺構を完全に埋め立てて再建したものです。この施設では、発掘調査によって奇跡的に発見された「本丸東側の石垣」を、当時の姿のまま地下で間近に見学することができます。
建設資金の多くが全国の歴史ファンからの寄付で賄われたことも大きな特徴。徳川の堅牢な石垣と、秀吉時代の野面積み石垣。二つの時代の息吹が共生する、大阪城の新たな歴史の1ページをぜひ体感してください。
Enigma of the Castle
伝説は、どこまでがリアルで、
どこからがフィクションなのか。
大阪城に残された6つのミステリーを、
史料と証拠から紐解きます。
The Legend of Sanada's Hidden Tunnel
大坂冬の陣で出城「真田丸」を守った真田信繁が、城内とを結ぶために設けたとされる秘密の通路。現在の三光神社境内にある石組から続いていたと語り継がれているが、大阪城天守閣の公式マップでも「抜け穴が掘られたという伝説」「入口とされる石組」と留保し、公式コラムでも「実在するかどうかは分からない」としている。伝承地(玉造の真田丸想定地)として石組や絵図、地形といった要素は揃っているものの、トンネル本体を裏づける一次史料や発掘成果は皆無。おそらく、後世になって別の用途で作られた石組が「抜け穴」として再解釈され、記憶が定着した可能性が高い。なお、真田丸そのものも直接的な考古学証拠に乏しく、位置や規模には現在も複数の復元案が存在する。
The Myth of the Sunken Gold
本丸小天守台下の井戸には「豊臣秀吉が黄金を沈めて水質を良くした(毒気を抜いた)」という俗説が存在。しかし、現在見える井戸や井戸屋形はいずれも徳川期のものであると判明しており、1959年の調査で見つかった井戸底も比較的新しいものであった。さらに、創建復興期の刊行物では「黄金水」と呼ばれ、現在の「金明水」という名称が定着したのは、1931年の天守閣復興と1953年の重要文化財指定以後。現在の井戸が徳川期のものである可能性が高い以上、黄金伝説は後世の創作と言えよう。戦後の学術調査を新聞が「黄金発見」の物語として過熱報道し、伝説を増幅させたとも考えられる。
The Phantom Girl in the Shadows
元禄年間(1688~1704)、旗本の水野十郎兵衛が物の怪の正体を見極めようと、噂の便所で夜通し待機。すると禿(かむろ:遊女の見習い童女)の姿をした女の子が現れ、にこりと笑って小用の足元を照らし、手洗い場では柄杓で水をかけてくれた。ところが突然、顔が変じて牙と角が生え、白く濁った眼を剥いて襲いかかってきたのである。水野が刀に手をかけて睨み返すとその姿は掻き消え、以来二度と現れなかったという。「水野十郎兵衛」は江戸初期の旗本奴・水野成之(1650年没)として著名だが、時代が合わないため、怪談内の人物は同名別人か伝承による混同。遊郭文化の「禿」のイメージと武家社会の怪異譚が結合し、有名人の名を借りて説話化された近世都市型怪談の典型例である。
The Nightmare on the Old Tatami
大坂城内の泊所の一室に古畳10枚ほどが積まれ、誰が打ったのか屏風が釘で入口に打ちつけられていた不可解な部屋。柔術家の渋川伴五郎が度胸試しに入って横になると、銀髪の老婆に胸を押さえつけられたという怪談である。江戸期の城内記録集『金城聞見録』(大阪市立中央図書館蔵)に記載され、大阪城天守閣元館長の北川央氏も著作で紹介。なぜ入口が封じられ、何のために古畳が積まれていたのかは深い謎に包まれている。将軍不在の大坂城に大量発生した「使われない部屋」が怪異譚の器となったとする北川氏の指摘通り、実在の柔術家の知名度を借りて生み出された物語であろう。
Ghost Fire
本丸から桜門を出て二の丸に向かう土橋両側の空堀に、触れても熱さを感じない青白い炎が浮かぶことがあり、大坂の陣で討死した者の怨念とされた怪異現象。これも『金城聞見録』に記述が見られ、夏の雨の後に現れることが多いとされた。落城戦で大量の戦死者が出た場所であることは史実だが、夏の雨後に堀底の有機物から発生するメタンガスが自然発火する「鬼火」現象を、怨念として解釈したとも考えられる。類似の「陰火」は全国の古戦場や墓地でも報告されており、大坂城に固有の怪異というよりは、普遍的な自然現象を民俗的に解釈した一例と言える。
The Forgotten Stones of Regret
大坂城の徳川再築期(元和〜寛永年間)に全国から切り出されながら、運搬中の落下や規格外による排除で城に届かなかった、あるいは届いても使われずに放置された巨石の総称。運搬中に落ちた石は「城が落ちる」に通じて縁起が悪いため忌避されたとの説も存在。現在も小豆島や犬島など瀬戸内の石丁場をはじめ、六甲山系、木津川流域、大阪市内各所で確認できる。個別の石がなぜ残されたかは大半が特定できず、築城時の事故死者の祟りとする「呪いの残念石」といった伝承もあるが、一次史料での確認は困難。諸大名64家を動員した大規模な徴発の過程で一定数落伍する石が発生したという事実に加え、近代以降に「残念」という情緒的な呼称が定着した、二次的な命名とみるのが自然である。
※上記で掲載しているイラストはAIで生成しています。
Data
400年以上の歴史を刻む大阪城。
入館者数から石垣に用いられた石の総数まで、
大阪城を歩く前に知っておきたい、
驚きの数字をご紹介します。
約266万人
約105.6ha
約3,000本
約100品種
約1,270本
約50m
約8.6億円(推定)
昭和期の価値で
約471,409円
約4.8億円(推定)
昭和期の価値で
約261,500円
表面積 約36畳
重さ約108t(推定)
約50〜
100万個(学術的推定値)
13個