
研ぎ澄まされた技術が1秒の差を生む
手と頭と道具に宿る職人の魂
大阪の特産品であり、日本の伝統工芸品でもある「大阪浪華錫器」。
金銀とも異なる魅力と特徴を持つ「錫器」の伝統技術を継承する大阪錫器(株)の代表であり、「現代の名工」にも認定されている伝統工芸士・今井達昌さんにお話を伺いました。
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研ぎ澄まされた技術が1秒の差を生む
手と頭と道具に宿る職人の魂
大阪の特産品であり、日本の伝統工芸品でもある「大阪浪華錫器」。
金銀とも異なる魅力と特徴を持つ「錫器」の伝統技術を継承する大阪錫器(株)の代表であり、「現代の名工」にも認定されている伝統工芸士・今井達昌さんにお話を伺いました。
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あれもこれもできる職人集団や

500個作れば分単位で効率が変わる

「嫌な味」に錫が反応するねん

20年30年使ってもらえるもんや

業界みんなでやっていかなアカン
CHAPTER 1
〝一子相伝じゃない〟からこそ、生き残っている大阪錫器
まず日本の錫器っていうのは、元々京都なんです。日本に錫器、この器として工芸品に近い錫が伝わったとされているのが、遣隋使、遣唐使の時代なんですね。奈良の正倉院にも残っているのが、錫の薬壷(やくこ)、薬の壺ですね。当時、お茶が薬の扱いだったんで、今でいえば、茶壺ですね。丸っこいやつです。それが3点、正倉院に残っています。
最初はお茶の容器として、日本に伝わったのかなと。遣隋使として、1回だけじゃないので、その間に、器物になったものが伝わってきたり、その技術を持った人が向こうから来たのか、こっちから向こう行って習ってきたのか…。結局、行ったり来たりしている間に、日本でそれを製造する技術も持てるようになったという形ですね。
その時代、公家社会だから、全てが京都ですよね、中心はね。錫器の場合はそれから、相当長い間、ずっと公家社会の中だけで使われてきています。そやから、茶壷で来ていますけど、お酒の道具として発展していって。多いのは、結構各地の神社とかそういうところの、神酒徳利とかそんなんが、錫は結構多いんですよね。だから、神社っていうのは、結局、公家と直結です。
要するに、天皇家が伊勢神宮と。で、どこどこの宮さんとこはなんとか(の公家とつながっている)、という形でね。だからそういう形で公家社会の中で使われてきているんですけど、それが一般に出回るっていうかね。そやから、戦国時代までは武家社会にもないんです。
戦国時代までに、武家社会、武家の家で、錫の器でどうとかこうとかっていうのは、お公家さんの奥さんをもらって、嫁入り道具で持ってきてるから使われているという形ですね。
元々、金や銀まではいきませんけど、生活の道具としては、相当ランクの上のものですよね。それがね、江戸時代になって平和になりますよね。そしたら、一般庶民でも裕福な者がそれを使うようになってくる。当然、武家社会にもそれが入っていくよと。
そやから、戦国時代までは武家社会に、錫はないんですけど、江戸時代になると、旗本の屋敷でお月見とかっていったら、錫のお銚子なんかが出てくるようになる。だから、武家社会でも使われてますよと。一般の人も裕福な人は使うようになりますよと。
ということになってくるとね、当然、今度、その公家社会との勢力の逆転ですよね。お公家さんが力を落としてますから、職人を抱えていけなくなって。そしたら、京都で材料が取れるわけじゃないんですよ、錫はね。当時から、ある一定の場所と、ある程度の量は輸入だったという風に聞いてます。なら、京都で作ってる必要がないわけなんですよね。
京都でお公家さんが抱えてくれて守ってくれてたから京都(で作られていた)ですけど。他の人も使う、みんな使うよと。で、お公家さん力なくなってきて、もう昔みたいに面倒見てもらえなくなるよっていうことになれば、結局京都にいてる必要ないので、結局、今で言うたら、その日本中から東京に会社が移っていくみたいに、京都から大阪へ移ってきてるんです。江戸時代に。
ほんなら、結局、大阪の方が、経済、物流の中心なんで、作ったもの、作る材料を手に入れるのも、手に入れやすくなるし。で、作ったものを、全国に持っていくにしても、やりやすいという形ですよね。で、一番早いところが、1600年代の後半の終わり頃っていう風に、一応、伝わってます。
うちらはもっと後ですね、もう、江戸後期なんですけどね。で、大体、1700年代、江戸中期に、京都と大阪の生産量が逆転してるというふうに聞いてます。それから後、一応、伝統工芸の、こういう錫器に関しては、大阪が全国の生産量のトップていう形ですね。で、京都に今も残ってるところも少しですけどあります。
元々、うちの仕事の流れっていうのは、江戸の後期に、錫屋伊兵衛さんっていう人が、京都から大阪へ出てきて、仕事始めたんですけど、調べてみると、その錫屋伊兵衛さんっていう人の苗字は、「芝」なんです、芝伊兵衛のはずなんです。ただ、その芝っていうのは、(うちの)親戚筋なんです。
要するに、その一族の中で、ジグザグしながら、仕事が守られ続けられてきてるよという感じですね。だから、どっかで誰かが、もうええわって言うて、誰も跡取れへんわって言って、仕事放り出してしもうてたら、もうなくなってますよという感じです。
誰かがもうあかんわって言うたら、片っぽでやってるもんが「ほなもうみんなこっちで面倒見るわ」とかってな感じで、技術をずっと繋いできてるんで。
で、うちの仕事の流れが、1人にはなってないみたいなんです。そやから、一子相伝とかってええ恰好言いますけど、その親が子供に教えるだけじゃない、必ず複数人が仕事してたみたいなんです。複数人が仕事してるっていうのは、大きいことなんですよね。結局、その伝えられる技術の幅が広がっていくんです。
そやから「うちはこれが専門です」、「うちはこれが専門です」って言ってたら、そこがなくなったら、それで終わりですよね。「うち、これもやります」、「あれもやります」と。「これのやり方もわかってますよ」、「注文来たらやりますよ」っていうな形でやっていってれば、いろんな技術がトータル的に残っていくでしょ。せやから、うちらが結構残ってこれたんかなと。
そやから、ずば抜けた天才の技術者が1人っていうんではなくて、そこそこのレベルを持った職人が、職人集団としてやってるっていう形、その中のできるものが会社の頭取ってると。
なんかそんな感じですね。